「後ろめたさ」こそが文学 鬼才・林真理子の真骨頂とは
「日本の作家だと誰を読んでます?」
初対面の相手に趣味を問われて読書と答えた時の第2問として、最もポピュラーなもののひとつだろう。回答には、ある程度以上の著作数がある作家、さらに言えば現役作家であることが望ましい。
だが、ときに自分も訊く側に立つからこそ、この質問を受けるたびにぼくは慎重になってしまう。何(愛読書)ではなく誰(作家名)と訊く場合、回答者のたんなる趣味というより、人となり、あるいはその先の生活や政治の信条をも問う意図が多分にあるからだ。
先日もそんな場面で口ごもっていると、思いがけず第3問が飛んできた。「じゃあ一年三百六十五日で最も多く触れている作家は?」。すると、自分でも拍子抜けするほどあっさりと名前が口を衝いて出てきたのだ。
「それなら林真理子さんですね」
理由は簡単。ぼくが数十年定期購読してきたいくつかの週刊誌で、林はエッセイや対談を長期連載している。定点観測と呼べる感覚で彼女の言葉に触れてきたのである。加えて今年7月には日本大学理事長に女性として初めて就任し、メディアに頻繁に登場しているという事情もある。ぼくにとって、林真理子ほど「触れる」機会の多い作家はいない。