木久扇師匠に「どうしてうちに来たの?」と聞かれ「家が近いんで」と答えた

公開日: 更新日:

 林家彦いちは、春風亭昇太が三遊亭白鳥、柳家喬太郎らと結成したSWA(創作話芸アソシエーション)のメンバーである。実体験を落語にした「スケッチネタ」に定評があり、寄席でも人気が高い。また、落語界きってのアウトドア派としても知られる。

 今回は新作を創る苦労談、仲間たちの逸話、アウトドアの話などを語ってもらった。まずは近年の活動状況から。

  ◇  ◇ ◇

「SWA以外では、渋らく(渋谷ユーロライブでの落語会)で、若手を集めて『しゃべっちゃいなよ』を主宰してます。漫談でもいい、とにかく、高座でしゃべりたいことをしゃべる会で。それと、白鳥さん、(桃月庵)白酒さんとの『落語三銃師』を全国展開してます」

 1969年、鹿児島県北西部の島、長島町に生まれ、国士舘大学に進んだ若者が、どうして落語家になったのか。

「落語は速記本を読んで知ってたくらいでした。文学部地理学科に入ってから、末広亭に通うようになって、就活をしてる最中に、木久扇師匠(当時は木久蔵)を見たんです。師匠の高座は、落語というソフトでなく、それを動かすハードなものを感じて、この師匠の弟子になりたいと思いました。すぐに芸能名鑑で師匠の事務所を調べて、地図を買いました。なにせ、地理学科ですから(笑)。事務所を訪ねて連絡先を書いておいたら、後日マネジャーさんから電話があって、師匠が会って下さるという。いざお会いすると緊張して、『どうしてうちに来たの?』と聞かれた時、『家が近いんで』と答えてしまいました(笑)。それでも師匠は怒りもせずに、弟子入りを許してくれました」

 89年当時の木久扇門下には、亡き師匠、彦六からの預かり弟子の時蔵と、女流のきく姫がいた。

「きく姫姉さんの見た目が部活の後輩みたいで、姉弟子という感じはしませんでしたね。今みたいに前座の数が多くなかったから、見習い期間はひと月だけで、すぐに名前を付けてもらえて、楽屋で働くようになりました」

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議

  2. 2

    キムタクと9年近く交際も破局…通称“かおりん”を直撃すると

  3. 3

    吉川ひなのだけじゃない! カネ、洗脳…芸能界“毒親”伝説

  4. 4

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  5. 5

    竹内結子さん急死 ロケ現場で訃報を聞いたキムタクの慟哭

  1. 6

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 7

    木村拓哉"失言3連発"で「地上波から消滅」危機…スポンサーがヒヤヒヤする危なっかしい言動

  3. 8

    Rソックス3A上沢直之に巨人が食いつく…本人はメジャー挑戦続行を明言せず

  4. 9

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 10

    立花孝志氏『家から出てこいよ』演説にソックリと指摘…大阪市長時代の橋下徹氏「TM演説」の中身と顛末