大月みやこさんが語る夢「ステージで歌っている私を客席から見てみたい」
大月みやこさん(歌手・77歳)
演歌歌手の大月みやこさんはデビュー60周年を迎え、記念シングル「今も…セレナーデ」をリリース、みずみずしい声を披露している。昭和から歌謡界を支えてきた大月さんがこれからやりたいことが何か、お話を伺った。
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デビューしたのは1964年。デビュー曲は「母恋三味線」です。それから今まで60年、もう日本全国どこにでも出かけました。行きたい場所をお話しする前に今でも思い出す旅のことをお話しします。
忘れられないのは、ここにはもう二度と来ることはないだろうなと思った遠いところに、続けて二度も三度も行くことになったことですね。
一つは今やマグロで有名になった青森、下北半島の突端の大間。同じキングレコードの先輩だった三橋美智也さんのコンサートに前座でついて行くことになりました。当時は国鉄です。本州北端の大畑駅まで行くと、向こうに函館のある半島が見えました。そこからバンドのみんなと一緒にバスに乗って舗装していない道をガタゴト揺られて2時間ちょっと。
マグロが知られていない時代ですから、本当に田舎にやってきたなという感じでしたね。ショーをやったのは小学校の講堂だったかしら。人が多く住んでいるとは思えないような場所だし、お客さんが入るのかなと思っていたら、みなさんお座布団持参で集まってくれて。でも、これが最初で最後と思ったのに、すぐ後に別の仕事でまた出かけることになった。こんなことってあるんだと思いましたね。
それから北海道の霧多布。釧路から厚岸まで行き、厚岸から海の方に出て海岸沿いを。それが時間がかかって長い。何時間かかったのかしら。そこに続けて3回も行きました。NHKの公開録音とかショーとか別々の仕事で。
しばらくして日本レコード大賞を受賞した「白い海峡」(92年)を作曲してくださった伊藤雪彦先生が四谷のおいしい店で食事しようというので出かけて行きました。そこでは北海道の海の幸がズラリと並びました。
話の流れで「霧多布に行ったけど、本当に遠かったですね。二度と行かない場所だと思っていたのに3回も行きました」と言ったら、なんと女将さんが霧多布の出身。「すいません」と平謝りする女将さんと大笑いしました。
それから北海道では国鉄の職員家族慰安会のショーもやりました。旭川管理局の名寄から下りてきて旭川、北見と15日間かけて回るんです。国鉄の仕事なので東京からすべて国鉄です。夜行列車で青森まで行き、青函連絡船に乗り換え、道内の移動も国鉄。どこもとってもすてきなところばかりだったけど、あの時は大変でしたね。