篠山紀信に懇願されてボツにしたスクープの思い出…宮沢りえのグラビアと引き換えに
私は、世界的写真家の篠山紀信(享年83)に嫌われていた。
私がFRIDAY編集長時代、ここでは詳しく書かないが、篠山の関係者のスキャンダルを編集部が“激写”した。
篠山は当時、宮沢りえの写真集「Santa Fe」(1991年11月13日発売=朝日出版社)を出し、時の人だった。
講談社ともつながりの強い篠山だから、これを出せば社内で大騒ぎになることは間違いない。しかし編集部は当然、やるべきだとの声一色。私は悩んだ。
私は篠山に電話して「会いたい」と伝えた。彼のスタジオで会うと、すでに情報をつかんでいて、「元木さん、何とかやめてくれないか」と哀願された。その理由とは、子どもの受験をひかえていて、親子面談の前にそれが出たら受からなくなるというものだった。
私は一計を案じ、篠山にこういった。「編集部を説得するために、宮沢りえのグラビアを撮ってくれないか」。彼はすぐにりえママに電話して、「りえちゃんをFRIDAYで撮るから、日程をくれ」と、必死の形相で談じ込んでくれた。