篠山紀信に懇願されてボツにしたスクープの思い出…宮沢りえのグラビアと引き換えに
宮沢りえの撮影には私も付き合った。彼女を起用した表紙とグラビア特集は話題になり、部数も跳ね上がった。
だがそれ以来、篠山は私を避けるようになった。
篠山が亡くなったことを伝えたNHKは、篠山の樋口可南子写真集「water fruit」(1991年発売=朝日出版社)がヘアヌードという流行語を生み出したと流していたが、これは間違い。
ヘアヌードという言葉は私がつくった造語で、初出は1993年元日合併号の松尾嘉代のタイトルである。
篠山はヘアヌードという言葉を嫌っていたという。それは私に対する当てつけだったのだろう。
だが後に、週刊現代の表紙撮影を篠山に頼んだのも私である。篠山は週刊朝日で、女子大生を表紙に使って話題になっていた。
私は、週刊朝日をやりながらでいいから、現代もやってくれないかと頼んだ。篠山は先輩の秋山庄太郎が、週刊現代と週刊ポストの表紙を撮っていたため、自分もやってみたいと思っていたようで、二つ返事で引き受けてくれた(後にポストの表紙もやるようになった)。