篠山紀信に懇願されてボツにしたスクープの思い出…宮沢りえのグラビアと引き換えに
ついては、週刊朝日側に仁義を通してくれといわれた。私は編集部に電話して、編集長と担当編集者に会いに行った。
編集長は渋々OKしてくれたが、担当の女性編集者が泣いて怒っていたのを記憶している。
こんなこともあった。私はライバル誌であるポストの岡成憲道編集長とウマが合った。年下だが、実に気のいい優秀な人間で、月に何回かは会って酒を飲んでいた。
恵比寿のそば屋だったと記憶している。岡成と飲んでいるところに篠山がふらりと入ってきた。われわれを見て、「あんたたち、そうやって談合しているんだ」とふざけ半分で叫んだ。
もちろん、飲んで仕事の話などするはずもないのだが、その後、「ライバル誌の編集長同士が談合」などとゴシップ誌に書かれ、迷惑したことがあった。
だが、篠山にたまにパーティーで会うと、行きつけの店へ連れて行ってもらったことが何度かあった。なかなかの美食家でもあった。
訃報を聞いて、私のほうから会いに行き、世界的な写真家のこぼれ話を聞いておけばよかったと思った。
そういえば、少女の頃の後藤久美子が、篠山の髪の毛をつかみ「はげてる」といったという「逸話」の真偽も聞いておけばよかったな。(文中敬称略)
(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)