Mr.マリックさんが語る「人生の種明かし」 3つのターニングポイントを経て、マジックの新しい魅力を発信
シーモンキーが発売されていなかったら
でも、何かしないといけないと思って、ブラブラしながら職探しをしたけど、やりたい仕事が見つからない。ちょうどその頃、手品用品で知られるテンヨーさんがシーモンキーという、謎の生物を育てるキットを発売しましてね。水の中に粉を入れておくと、ミジンコみたいな、メダカみたいな変なものが出てくるという謎のキットです。その実演販売をする人を探していた。手品じゃないけど僕ならやれる、東京に出て行くチャンスをもらえたと思いました。もし、あの時、シーモンキーが出ていなかったら多分、マジックをやめていたと思います。
実演販売をやったのは八重洲の大丸百貨店でした。八重洲大丸は子供のためにオモチャを買って帰る観光客が多く、オモチャ売り場でシーモンキーを売っていまして。もっとも、シーモンキーはあまり売れなくて、テンヨーが作った手品セットみたいなものも売っていて、それが飛ぶように売れた。それでなんとか生活ができるようになりました。
渋谷の東急百貨店東横店の手品コーナーでも実演発売をやりました。マジックにまったく興味がない人に見せて、商品を売る仕事です。それをやったおかげで、マジックに興味がない人の関心をこちらに向ける力、セールスする力がついたのは大きかった。この時に、見ている人にアピールするしゃべりやテンポが身につき、後にテレビでマジックをやる時の間合いにつながりました。
■ホテルのラウンジでマジックを披露するも…
次の転機はそれを14年ほどやった後、1988年のことです。日本で初めて手品のグッズを専門に扱う店を五反田にオープンしました。それも軌道に乗り、時間に余裕ができたので、マジックをやるところがないか探しました。いろいろ見て回って見つけたのが2021年に取り壊された品川のホテルパシフィックです。最上階に東京の夜景が見えるステキなラウンジがありましてね。ノーギャラでいいから、マジックをやらせてもらえないかとお願いしました。
生バンドが入っているラウンジで、2回目のショーが終わった後、ステージに出て行きました。ところが、それまでフロアで踊っていたお客さんがみんな窓の向こうを見てる。夜景がキレイですからね。お客さんはマジックをやることを知らされていなかったから、誰もこっちを見てくれない。
僕は困って、ステージの裏にいるから興味がある人は声をかけてください、見たい人には席のところまで行って目の前でやりますとスタッフの人に言って、呼んでもらうようにしました。何でも好きな人っているものなんですね。呼んでくれる人がいて目の前でやってみせました。すると「オー」とか「すごい」と大きな声を出して驚く。その声を聞いた人が私も私もとなって、指輪を浮かす、消えた指輪がキーホルダーから出てくる、持っている鍵を曲げる、破れたお札を元に戻すといったマジックをやったわけです。
それがお客さんから借りたものを使って、目の前でやってみせる「クローズアップ・マジック」が生まれたきっかけです。あの時は夜景と闘ってよかったと思いましたね(笑)。
すると、それを見た店の人が「面白い。これを全国でホテルを展開しているホテルオークラに売り込んだらどうか」と言ってくれまして。エージェントを紹介してもらうことができた。オークラではオーディションもあって、大勢の宴会係のホテルマンを前にしてやってみせました。あの頃のマジックはステージでやっているのを見るのが普通。クローズアップというカテゴリーはなかったので、強烈にアピールすることができました。
ホテルオークラでは北海道から九州まで全国10カ所で長い間やらせていただきました。