大衆性から離れずスリリングでパンクな戦いを繰り広げた80年代前半こそ「黄金時代」と考える
なぜ「沢田研二の1980ー1985なのか」②
ここでまた立ち止まり、なぜ「1980-1985」という期間設定なのかについて、説明しておきたい。
当連載で扱うのは、80年代前半の沢田研二。シングルでは1980年の「TOKIO」から85年の「灰とダイヤモンド」まで。アルバムでは、ほぼ80年=79年秋の「TOKIO」から…
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