勘三郎さんの夢が結ばれた勘九郎さんの「俊寛」 勘太郎を襲名した七緒八くんの成長に感動
このアイデアが生まれた情景は手に取るようにわかる。シーワールドのシャチのショーからコクーン歌舞伎「四谷怪談」をつくり、唐十郎氏の赤テントを見て自由に外に持っていける平成中村座をつくった。
硫黄島に「行ってみたいねえ」となり、行けば「ここでやってみたいねえ」となる。それをそこで終わらせず、周りを自然に動かし実現させるのが勘三郎さんだ。40歳で初演し、亡くなる前の年の2011年に再演した。
そして初演の時に14歳で出演した勘九郎さんが今年、その俊寛の大役を演じたのだ。悪天候で前日フェリーが動かず当日乗り込みで、通し稽古もないままに、しかも初役の俊寛を見事に演じ切った。まさに父親が乗り移ったような瞬間が何度もあった。
そもそもこの興行は勘三郎さんが再演の時に、その年に生まれた勘九郎さんの長男七緒八くんが15歳、自分が70歳の時にまた演りたいと言っていた夢から始まった。
1歳の頃にビデオで歌舞伎を見るのが大好きでテレビの前で見えを切る足の所作を真似していたあの七緒八くんが、勘太郎を襲名して「俊寛」で成経を演じ、まだ中1ながら堂々と長ゼリフをしゃべる姿には感動した。
たった12年で、子も孫もこれだけ成長するものか。さぞや空から見ていた勘三郎さんもうれしく、そしてあの人のことだから自分が演りたくて悔しかったことだろう。