サザン桑田佳祐の食道がん闘病秘話と今も語り継がれる「いとしのユウコ」伝説
「私もすごくショックだったんですけど、私が泣いたり、うろたえたりすると桑田が余計不安になっちゃうんじゃないかなと思いまして、絶対治るんだから大丈夫だよ、なに心配してんのって顔をしていたんです」
桑田は原について「彼女がいないと僕は成立しない」と常々言っているそうだが、サザンオールスターズとして、1978年にシングル「勝手にシンドバッド」でデビューした当初はコード譜や譜面を書くのが苦手だった桑田を原がサポート。「私が適当にですけど、簡単にメモはしてました。当時は音声メモもなかなかできなかったので」などと、司会の黒柳徹子に明かしていた。
桑田にとって原は公私ともに必要なパートナーなのだ。
■43年前の「いとしのユウコ」が今も鳴り響く
その原に対して、贈った曲として知られるのが名曲「いとしのエリー」である。
「実姉の岩本えり子さんの名前に由来するといった説もありますが、桑田が原坊に別れ話をしたあとにかけがえのない存在であることに気が付いて、その気持ちを込めたラブソングとして知られています。電話口で『新曲ができたよ』と伝えたとき、印象的なはじまりに『シンコペーションね』などと感想を言ったらしいのですけど、『いい曲だね』と評価してもらったことで自信を得たそうです」(前出の関係者)