まるで「戦後の闇市」のような大井町の一角でセンベロ 亡き父の若き日を思う
大井町(品川)①
もう30年も前に他界したアタシの親父が高校を卒業して東京に出てきたのが昭和28年。初めて就職した先が大森にある大手電気機器メーカーの下請け会社だった。
茨城出身の親父は東京の仲間から「エバラギからイドに出てきたのか」とからかわれたと笑って話していたことを思い出す。「い」と「え」が逆になるのが茨城弁の特徴なのだ。当時は高度成長前夜、若い労働力はいくらあっても足りなかった。その後、地方なまりの少年少女がそこかしこの工場にあふれることになる。
大井町も例外ではない。東芝や鐘紡の工場があり、大井町線沿線には広大な品川電車区がおかれた……。
昔の繁華街の面影を残すのは東急大井町線を降りて左方向に進んだところにある東小路。戦後の闇市をそのまま残した、まるで映画のセットのような一角。目をぎらつかせた白いスーツの三船敏郎が現れそうな場所。大井銀座商店街と並行する2本の路地にいろんな飲み屋がひしめき合っている。
今日の1軒目はその中間にある晩杯屋。もともとは赤羽にあるセンベロの名店の系列。1階は立ち飲み、2階にはちょっと狭いがテーブル席がある。
アラ還世代は迷わず2階へ。酎ハイ(250円)と煮込み(150円)、奮発して鯛の刺し身(350円)を注文。我々にはこれくらいの量がちょうどいい。酎ハイをお代わりしてちょうど1000円。まさにセンベロ。
午後3時過ぎにはママ友らしき2、3人の姿も。年のころなら30代後半か。喫茶店でお茶を飲みながらケーキを食べるくらいの値段で、小腹を満たせてなおかついい気分になれるのだから、足を運びたくなるのも納得だ。