トゥエンティーワンコミュニティ 守川敏代表取締役(1)弘兼憲史が半生を書き下ろした「六本木のナイト」
ただ、その道は決して平坦ではなかった。女性やお金をめぐり欲望がひしめく六本木で、守川も数えきれないほどの修羅場を味わった。守川が特異なのは、反社会勢力が幅を利かせるなかで、暴力を振るわれようが嫌がらせを受けようが、ゆるぎない正義感で切り抜けてきたことだ。
「弘兼先生は、ほぼ忠実に描いてくださったのですが、実際には漫画では描けないようなこともたくさんありました」
守川は、錦帯橋で有名な山口県岩国市で生まれた。父はエンジニア、母は進学校の私立・高水学園高水高校の教師だった。
「私は3月の早生まれで、子どものころは背が低く、発育も遅く、岩国という田舎でボーッと育ちました。ただ母はとても教育熱心で、たくさんの習い事に通わされ、物心つく前に無理やり勉強させられました。今となっては、幼い時に基礎学力をつけてくれたことに感謝していますが、そのころの私は、勉強嫌いで逃げ回っていました」
それにしても、ヤクザにも物おじしない正義感は、どこから来ているのか。守川には、小学生の時の忘れられない出来事がある。