統帥権干犯こそが戦争指導の邪魔な刃だと東條英機は考えた
![秩父宮は東條に3度質問状を出した(日本電報通信社撮影)](https://admin.nikkan-gendai.com/img/article/000/274/131/f4a4ae6e26f2b9a4616dd9559c4c3a6120200604141524689_262_262.jpg)
東條英機が首相兼陸相、そして新たに参謀総長を兼ねるのは、まさに独裁体制であった。一人の、さして軍内では有能とは言われてなく、凡庸たる軍人にこれだけの権力を与えることで、日本は戦争の行く末を懸けることになったのである。昭和19年2月17日に日本の東南アジア進出の拠点になっていたト…
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