広島市街は鳥の鳴き声は聞こえず、犬や猫もなく、死体の山だった
![原爆で瞬時に焦土と化し、煙突だけ残った広島市街の一部。中国新聞本社屋上から東南を望む。右下は久保田醤油の煙突。この煙突の先端部分は原爆資料館に保存されている。8月18日に配信され19日の各紙朝刊に大きく掲載された歴史的な写真。撮影は1945年8月10日から17日の間(C)共同通信社](https://admin.nikkan-gendai.com/img/article/000/292/191/efcbfd253bc8519290eafd1486f1c8a720210720131014858_262_262.jpg)
2人の駐日ソ連大使館の書記官は、日本人の付き添いもなく、広島市内を見て回ったというのだ。実はイワノフは、広島を何度も訪れたことがあったという。それに広島の地図も持っていた。しかし駅から街の中心までは広い道が通っているはずだったが、実際には建物の崩壊で広い道などはなかったという。…
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