スノボ竹内智香 「反骨」と「不屈」で勝ち取った銀メダル
■外国人コーチに指導直談判
実績不足で、希望した用具が提供されないことから、08年にスイスチームの同僚で、トリノ五輪男子パラレル大回転の金・銀メダリストのシモン兄弟が立ち上げたスノーボードブランドに参加。自ら女性用ボードの開発に着手。元オーストリア代表ヘッドコーチのスタドラー氏には5年越しでアタックし、11年から指導を受けている。
卓越した行動力で道を切り開き、W杯の表彰台に上れるまでに成長。それでも、3度目となるバンクーバー五輪も13位と惨敗した。
スタドラーコーチから「五輪で勝ちたいなら、コーチ、スタッフ、スキー連盟、スポンサー、家族、友達、応援してくれる周りの人たちに協力してもらうことが大切だ。日本チームに入って責任や重圧を感じることが重要だ」とアドバイスされ、12年から活動拠点を日本に戻した。それを機にフィジカルトレーニングに力を入れ、何本滑っても疲れないスタミナと体力をつけた。
決勝は世話になったスイスのパトリツィア・クンマーに敗れたものの、「スイスもそうですが、世界中の人たちが応援してくれた。日本をはじめ世界中の人に感謝したい」と喜びを口にした。
92年アルベールビル五輪以来、日本の女子選手がメダルを逃したことはない。竹内の今大会女子初のメダルで、日本の五輪関係者も胸を撫で下ろしたのではないか。