赤井英和と伝説の一戦 “和製ハグラー”大和田正春さんは今
景気はどうなのか?
「ウーン、正直、甘くはない。ただ、ウチは下地と加工の処理に他社がマネできないひと工夫があり、メッキがきれいで剥がれにくい、って評判がいいんだ。やっぱり最終的には品質がモノをいうってこと」
■伝説の赤井英和戦を振り返る
さて、在日米軍兵士だった黒人の父と日本人の母の間に生まれた大和田さんは、都立牛込商業高校(現・千早高校)に進学。会社の先輩に誘われ、ボクシングを始めた。階級はジュニアライト級。東日本新人王決勝までコマを進め、勝つも負けるもKO決着が多く、ファンを熱くさせた。
ウエルター級に階級を上げ、赤井英和と対戦したのは85年2月5日。完全アウェーの大阪府立体育会館だった。
「赤井は練習不足や減量苦で最初からいつもと違ってた。で、3ラウンド12秒、右フックが赤井のこめかみにバコンって感じで決まってね。ボクの右薬指が骨折したくらいものスゴい衝撃で、これが赤井の脳出血の原因になったらしい」
試合は大和田さんの7ラウンドKO勝ち。担架で控室に運ばれた赤井は、そのまま病院に直行。危篤状態だったが、4時間余の開頭手術の結果、奇跡的に一命を取り留めた。