婚約会見の翌日、スポーツ紙の1面にとんでもない記事が
長嶋監督は勝手に自分の名前が出ているその新聞を見たのでしょう。
「なんだあれは?」
いや、あの、はい、すいません。勝手に書かれてしまいまして……。
「やってやる」
えっ!?
「だから、やってやる。引き受けましょう」
ひょんなことから、予想外のことになりました。控室を出て、すぐに一茂さんに電話をすると、「ハハハ、いいじゃん。そりゃ、オレより親父の方がいいよ。ただ、忙しいからな。万が一、直前になって親父ができないとなったら、そのときはオレがやるよ」と言っていただき、ホッとしたのを覚えています。
でも、ここからが大変でした。日取りはシーズンオフの12月2日に決まったものの、その後は長嶋監督と一度も打ち合わせができません。4年ぶりの優勝を目指して、いつも以上に執念を燃やしていた長嶋監督に、とても僕のプライベートのことでご相談ができる雰囲気ではなかったのです。