反骨を原動力に米ツアー初V 野村敏京はなぜ海を渡ったのか
■日韓両国で受けた嫌がらせ
野村は日本人の父と韓国人の母の間に生まれ、5歳まで横浜で過ごした。その後、両親は離婚。母親と韓国に渡り、高校在学中の2010年に米下部ツアーメンバーになり、翌11年にプロ転向。日本ツアーの中京テレビ・ブリヂストンレディスでプロ初勝利を挙げ、その年に日本国籍を取得した。
韓国事情に詳しいジャーナリストの太刀川正樹氏がこう語る。
「敏京は幼稚園の時に韓国に渡り、当時は言葉もまともにしゃべれず、日本人とのハーフだったからずっとイジメに遭ってきた。日韓両方の国籍がありながら韓国ではナショナルチームにも入れてもらえず、代表選手にも選ばれないという差別を受けた。だから20歳になって国籍を選択する際、日本ツアーに出場するために日本国籍を選んだのです。ところが日本ツアーに出場しても会話ができないため、今度は友達もできず、大きなスポンサーもつかなかった。そこで米国ならイジメもなく、自分の実力で勝負できると、日本のシード権を放棄して海を渡ったのです」
敏京の母方の祖父がテコンドーの選手で、小さい頃から「イジメられないためには強くならないといけない」と格闘技を叩きこまれ、そこで根性を養った。それがバーディーを量産してもニコリともしないプレースタイルにつながっている。韓国メディアはリディア・コやミシェル・ウィーのように同胞が海外で活躍すると、がんばったと応援する。おそらく敏京の今回の優勝は韓国で大きく扱われる。