稀代の大横綱千代の富士 なぜ理事長になれなかったのか?
■引退後も大将然
しかし、理事長になれなかったのは政治的な理由だけではない。「やっぱり、性格だろうね」とは、ある親方だ。
「肩で風を切って歩き、人に頭なんて下げたことがなかったほど。現役時代は『横綱』という地位がそれを許してくれたものの、親方になれば話は別。昔から近しい人間に『大将』と呼ばせていたが、九重部屋を継承した後もまさに『お山の大将』だった。年上の親方衆からは『生意気』『礼儀をわきまえていない』と不評を買っていた。かといって年下から慕われていたわけでもない。現役時代に生きの良い若手力士の噂を聞くと、その部屋に出稽古。コテンパンに叩きのめして恐怖心を植えつけていた。勝負の鬼と言っていい厳しさが、協会という組織の中では遠慮のない物言いや強引なやり方になって、年齢を問わず、親方衆からは敬遠されていた」
別の親方が話を引き取る。
「地方場所に行っても、他の親方と飲みに行くことなんてなかった。連れ立って歩くのは、弟子の佐ノ山親方(元大関千代大海)くらい。今年の理事選で理事に返り咲こうとしていた時も佐ノ山親方が票集めに走っていたが、多くの親方から、『九重親方本人が頭を下げるなら協力してもいいけど、無理だろ?』と言われたと聞いている。おそらく、いつまでも大横綱としての気分が抜けなかったんじゃないか」
理事長の座だけは手にすることができなかったのは、それなりの理由があるのだ。