もし松坂大輔が横浜に入団していたら…チームの歴史も私の歴史も変わった
松坂大輔(41)が23年間のプロ野球選手生活に幕を下ろした。
私にも、彼とのたくさんの思い出がある。中でも、忘れられないのが、1998年11月20日のドラフトだ。
横浜ベイスターズの監督として、その年の10月8日にチーム38年ぶりのリーグ優勝を達成。同月26日には日本シリーズで西武を下し、選手に日本一の美酒を味わわせてもらった。
その喜びがドラフトで吹き飛んだ。
目玉は、横浜高のエースとして甲子園春夏連覇を果たした松坂大輔。本人の意中の球団が、地元の横浜であることは知っていた。私も「数十年に一人の怪物投手」と惚れ込んでいて、まさに相思相愛。
だが、日本ハムを含む3球団の競合の末、日本シリーズを戦った西武のトンビ東尾修監督に先に当たりくじを引かれた。後日、油揚げをさらっていった畏友のトンビと飲んだ際、「権藤さん、日本一を逃すのと、松坂を取り逃がすのと、どっちがよかった?」と聞かれ、
「日本一は来年も再来年もチャンスがある。でも松坂という逸材は今年だけ。まあ、日本一も松坂も逃しとったら、これはもう目も当てられんけどな。オレはクビになっとったよ」