新庄は初任給で買ったグラブを引退まで使い続けた「これがダメになったら野球をやめる時」
麦倉氏は故障が尾を引き、入団から5年間で現役生活を終えた。ゴルフ場開発会社に1年勤めた後、スポーツ用品メーカーの「デサント」に勤務。営業部で阪神担当になり、同時にすっかりスター選手になっていた新庄の窓口にもなった。
「使用する用具について相談に乗りました。とにかく物を大切にする。有名な話ですが、試合の時は阪神入団後の初任給で買ったグラブを引退まで使い続けていた。グラブをまるで自分の手のように扱っていて、『これがダメになったら野球をやめる時だ』と。本当に大事に、熱心にメンテナンスしていました。真面目な人間なんですよ」
海も渡り現役17年間の苦楽を共にしたそのグラブは2011年に亡くなった父・英敏さん(享年70)の棺の中に納められた。監督に就任した2日後、トレードマークの赤色を基調にした新グラブをSNSで披露した新庄監督。新たな一ページが始まった。(この項おわり)