祝賀会で二子山親方がひと言「高谷(隆の里)がいつもお世話になっています」
「あの時、二子山親方に認めてもらえたんです。それからは(隆の里が)トレーニングに行くと言えば、『おお、行ってこい』と言われるようになったそうですよ」
相撲界では当時、器具を使うと筋肉が硬くなるなどと言われ、二子山親方もいい顔をしなかった。隆の里や旭富士(現伊勢ケ浜親方)は一握りのパイオニアだったが、糖尿病でやせた隆の里の体が「ポパイ」のように改造され、番付も上がって、親方は認めたのだった。
元横綱稀勢の里が開いた二所ノ関部屋では、稽古土俵を2面造った。画期的といわれるが、1994年まで墨田区にあった時代の佐渡ケ嶽部屋に前例がある。
元横綱白鵬の宮城野部屋では夕方にも土俵へ入る稽古を取り入れた。
かつて「鬼」の二子山部屋で夕稽古を見たことがある。今の春日野親方(元関脇栃乃和歌)はある夜、食事から帰ると稽古場の明かりがついていて、栃煌山(現清見潟親方)や栃ノ心が稽古していたという。宮城野部屋は、それを日常化する試みだろう。
時津風部屋で、軽い朝食をとってから稽古する実験をしたこともあった。相撲界は全てが「旧態依然」ではない。古くから、名力士を育てた師匠には固定観念にとらわれなかった人が少なくない。