日ハム4位・安西叶翔 直立不動で2時間、プロ入りに反対する父を納得させた意志の固さ
■ケガに泣いた小、中時代
「手っ取り早く手術で治す方法もありましたが、叶翔は投手としての将来を見据え、保存療法を選びました。走り込みなどのトレーニングしかできないのに、それでも土日を含めた週4回のチーム練習には休まず参加していたんです。その間、本人から弱音や愚痴など聞いたことがない。本当に野球が好きで、そのために我慢しているのが伝わってくるほどでした」
ドクターストップが明けると、最後の夏はチームの2、3番手の投手として全国大会に出場。進路を決める際の安西の望みは「他県の強豪校で野球をする」というものだった。真一郎さんは京都ベアーズのコーチから紹介された常葉大菊川高を提案。「行きたい」という返事を、「本人の望むように」と承諾したのは、投球ができなくても腐らず練習に励む姿を見てきたからこそだ。
もともと父子の目標は大学進学と、そこで野球を続けること。しかし、安西は前述のように高校2年秋に覚醒。スカウトが注目するようにもなり、気持ちに変化が生まれる。