江藤慎一の流浪のプロ人生 監督が6畳一間のアパートに「野球さえできれば何でもええんじゃ」
■兼任監督に招聘された史上初の両リーグ首位打者に用意されたのは…
ところが、太平洋は選手が八百長に関与したとされる黒い霧事件によって戦力が大きくダウンした西鉄を引き継いで誕生したチーム。球団は中村オーナー個人が所有して経営する方式で、スポンサーの太平洋も石油ショックで売り上げが激減したため、大きな支援は見込めないという財政的に厳しい状況だった。単身赴任の江藤に用意されたのも、6畳一間のアパートという監督とは思えない住居。東京から遊びに来た娘が、あまりの待遇のひどさに驚いていると江藤は言った。
「俺は野球さえできれば何でもええんじゃ」
この年、近鉄から取った土井正博が本塁打王、日本ハムから移籍の白仁天が首位打者に輝き、チームは初のAクラス入りを果たす。しかし「闘将」と呼ばれ、チームメートからもファンからも愛された江藤はシーズン終了後に解任され、再びロッテへと移っていった。
(清水一利/ライター)