球界の寝業師・根本陸夫が呪縛解き初優勝を呼び込んだ一言「王くんはな、ラーメン屋のせがれだよ」
根本陸夫(元西武、ダイエー監督)
法政大から社会人を経て1952年、近鉄パールスに入団。選手としてはわずか4年の実働だったが、その後、コーチや監督、あるいは球団幹部としてトレードやドラフト指名で辣腕ぶりを発揮し「球界の寝業師」と呼ばれたのが根本陸夫だ。
78年、クラウンライターライオンズを西武が買収、根本はその初代監督に就任する。ドラフト外で松沼博久・雅之の兄弟を入団させ、さらにトレードで田淵幸一、古沢憲司、山崎裕之を獲得。その後の西武黄金時代の基礎を築いたのは間違いなく根本の功績である。
93年、球団管理部長の職にあった根本は福岡ダイエーホークスのオーナー・中内㓛に懇願され、ホークスの球団専務兼監督に就任する。
チームは南海時代の70年代後半から低迷が続いており、根本は西武時代同様、大胆なトレードとドラフト補強でチーム再建を図った。監督初年度の93年こそ最下位に終わったが、翌94年は4位ながらも17年ぶりに勝ち越し。着実にチーム力をアップさせた。
しかし、根本は西武時代から常に「自分はつなぎの監督」と公言しており、事実、西武では後任監督に広岡達朗を招聘。そして94年オフ、根本が画策したのが王貞治のダイエー監督就任だった。 長嶋茂雄とともに、長年巨人の顔だった「世界のホームラン王」。その王が巨人を離れて他球団のユニホームを着るとは当時誰も考えてはいなかったし、そんなことが実現するとは想像だにしなかった。