28年間のスカウト人生は岡田彰布の父親にワインとアジの開きを手土産にしたことから始まった
一軍が2次キャンプ地の米国に向かったタイミングで鈴木は、79年ドラフトの目玉であった早稲田大学の岡田彰布(現阪神監督)の両親に会うため、新幹線で大阪に向かった。鈴木にとっての初仕事。しかし、岡田の実家の住所も電話番号も、どこの大学に通っているのかさえも知らなかった。
「北陽高時代の岡田を担当していた浦田直治さん(チーフスカウト、球団本部長を歴任)に住所を聞いたものの、『実家は工場をやっていて、大阪の玉造駅からは近いから、タクシーに乗るほどじゃない』と。『目印はあるんですか?』と聞いても、『たしか、駅の出口を出てすぐのところに店があって……』と要領を得ない(笑)。とにかく向かう途中にワインを数本と、アジの開きを抱えて玉造駅へ向かいました。何とか自宅へたどり着きましたが、アポもない上に、挨拶といっても、初めてのことで、いったい何をやればいいかわからない。不安はありましたけど、お父さんは僕のことを気に入ってくれたのか、結局2、3時間は滞在しましたね」
岡田の父親は紙加工業の経営をしていて、2階が事務所だった。
「お父さんは熱狂的な阪神ファン。後日、球団後援会の有力者だと聞きましたが、2階に通されて『鈴木さん、息子のビデオを見てくれ』と。東京六大学の岡田のプレー集を見て。前年にたまたま、早大の試合をテレビで見ていたんで、よかったなと(笑)。アルバムもたくさん見せてもらった。明星中学時代は週2回、学習塾に通わせていたとか、東京では飲み代だけで毎月8万円もかかる、なんてグチまで話してくれました。僕が阪神の選手だったのは知ってたか? その話はまったく出なかったから、知らなかったと思います(笑)」