不謹慎だが…4番の金本知憲さんの本塁打を素直に喜べなかった。気持ちが切れてしまうのだ
2003年、阪神は18年ぶりにリーグ優勝を果たしたにもかかわらず、星野仙一監督が「健康上の都合」を理由に電撃退任。岡田彰布・一軍内野守備走塁コーチが一軍の監督に就任した。
僕は星野監督時代の02年に1番の赤星憲広が故障離脱したことで2番から1番となった。リーグ優勝した翌03年に不動の1番として打率.340で初の首位打者のタイトルを獲得。岡田体制でも開幕当初は1番だったが、4月から6月までは3番、その後の2カ月間は再び1番、最後は3番でシーズンを終え、打率.306、28本塁打、83打点の成績を残した。
打順が違えば役割も変わる。1番は出塁、2番は走者を進める。クリーンアップは走者をかえすといった具合だ。05年は5番に定着したが、実はこの打順はあまり好きではなかった。
例えば1死二、三塁のチャンスで4番の金本知憲さんが打席に入るとする。カウント3ボール1ストライクになれば、僕は「四球で満塁やな。よっしゃ、俺が決めたる!」と体中に力がみなぎっている状態だ。それなのに、金本さんがカーンと本塁打を放ったら……。不謹慎なことを言うと、力が抜けてしまうというか、打席に向かいたくなくなる自分がいた。全試合5番だった05年はこんなことがよく起きた。4番が打つのはもちろん、チームにとって喜ばしいことなのだが、僕は素直に喜べなかった。4番が走者をかえした後の僕の打席は、ほとんど3球三振か初球を凡打という散々な内容。気持ちが切れてしまうのである。