実業家と離婚後にリウマチに襲われた叶和貴子
挙式が行われたのは88年3月27日。700人が出席した披露宴で実業家は大ハシャギで、お色直しでは鼻の下に付けヒゲをするなどおどけてみせた。
しかし、結婚前から将来を不安視する声も聞かれた。不安材料のひとつは叶の母親。離婚を経験して女手ひとつで苦労して叶を育てた。名よりも実を取るタイプともいわれ、結婚による叶の収入減やライブハウスの経営状況によっては、将来何が起こるかわからないとの指摘もあった。
そして、不安は的中する。ライブハウス経営の夫は連日、朝帰りが続いて、ドラマの仕事が多い叶は早朝出勤。地方のロケで家を空けることも多く、スレ違い生活が続いた。叶は夫婦ゲンカのたびに家出を繰り返し、91年2月に慰謝料などの条件がまったくない形で離婚が成立した。実業家は「自由奔放に生きてきたボクにとって彼女の束縛はしんどかった」と言い、叶は「2人の時間を持てなかった」とそれぞれ心境を語った。
もっとも、離婚の具体的な理由については「泥仕合を避けるため“公表しない”と念書を交わした」との報道も流れる事態となった。