“有給休暇”で単身渡米した野沢直子
<1991年4月>
人気お笑いタレント、野沢直子が「もっとオモシロイ中身のある芸人になるために充電したい」と休養宣言し、アメリカに旅立ったのは91年4月。突然の宣言に加え、休養中も野沢に吉本興業から月15万円の給料が支払われていた。異例ずくめの売れっ子の“有給休暇”と話題になった。
理由はさまざま取り沙汰された。「父親がお笑いに難色を示した」「海外で女優の勉強をする」、果ては「妊娠」というものまであったが、なかでも注目を集めたのが男性関係。野沢は休養宣言の前年までブルーハーツのボーカル、甲本ヒロトとの熱愛が噂されていた。しかし、90年秋ごろから破局報道が流れ始める。91年2月27日の休養宣言会見では「(甲本は)もう友達以下の関係ですね」と破局を告白、別離が休養の原因と書き立てるマスコミもあった。
真相がはっきりしないまま迎えた、最後のテレビ出演は3月30日の中京テレビ「5時SATマガジン」。前日28歳の誕生日を迎えた野沢にケーキが用意されていたが、「グチャッとケーキに顔突っ込まなくていいの?」とギャグ。エンディングで花束を渡されて「ありがとう」と涙声になるものの、セットの使い回しの花束に気付いてツッコむ余裕も見せた。