ナイツ塙宣之さん 漫才協会理事&小遊三一門入りした2007年
僕の「その瞬間」といえるターニングポイントは07年、漫才協会の理事になり、落語芸術協会の三遊亭小遊三師匠の一門にも入り、落語家が出る浅草演芸ホールの寄席にも出られるようになった年。それで舞台の数が一気に増えました。
今だから言えますけど、その少し前は渋谷とか都心でお笑いの若手ライブに出る時は、浅草に出てることを隠してた。若い人向けのネタを無理してやっていました。でも、他のコンビのように、女の子に騒がれるタイプでもない。それで、落語芸術協会にも入ったし、「浅草を前面に売りにしていこう!」と決めた。その瞬間がナイツの大きなターニングポイント。
それからは衣装も漫才師らしいスーツに切り替え、「浅草の漫才師」のイメージを前面に出しました。これがよかったんですよ。
満員の2つの舞台で場数も踏めたし、僕らが始めた「ヤホー漫才」が売れてきてすべてのタイミングが重なり、「M―1グランプリ」の決勝まで行けました。
漫才協会に入った時はイヤでしたけど、今思えば、入ってなければ今の僕たちはなかったんでしょうね。