小倉智昭「とくダネ」終了はリストラ…五輪はリポーターか
小倉は東京12チャンネル(現テレビ東京)での競馬中継で注目され、故・大橋巨泉さんに見いだされ76年にフリーに。巨泉の助言でラーメン屋など飲食店経営にも乗り出し、イベント出演や講演会も多数こなした。番組では趣味のスポーツ観戦の延長で2000年シドニー大会を皮切りに五輪取材を始め、08年の北京からは夏季、冬季大会の全てで会場から生中継してきたのだから、趣味と実益を兼ねた仕事であったのだろう。
歯に衣着せぬ発言を問題視されたり、不倫疑惑を報じられたりもして万人に好感されるタイプではなかった。降板説が何度も取り沙汰されたが、それを乗り切ってきたのはベテランならではの人心掌握術もあったという。
「かつては毎年のように慰安旅行や慰労会をやって、自腹でその全額を負担していました。全盛期には約170人もスタッフがいたのですから費用負担は相当なもの。また、視聴率が同じ時間帯で1位になると8%で1万円、9%で2万円と番組貯金をして、年間300万円くらい貯めてそれでスタッフ全員に焼き肉をふるまったことがあった」(スポーツ紙芸能デスク)