「船山君は筒美京平が嫌いでしょ?」と言われてドキッ
数々のヒットを飛ばした作曲家の筒美京平さんが昨年10月に亡くなったが、筒美さんとともに昭和から平成の音楽シーンを演出してきたのがこの人、編曲家の船山基紀さんだ。筒美さんとの秘話の数々、黒子に徹しながらヒットメーカーとしてスターに接してきたエピソードを語ってもらった。
筒美さんとの出会いがなければ、今の私はありませんね。それぐらい大切な人です。出会いも衝撃的でした。
最初の出会いは中島みゆき「アザミ嬢のララバイ」(1975年)のデビュー後、フォークソングブームの中で仕事が波に乗ってきた頃です。突然、先生から連絡がありましてね。僕は25歳。あの「サザエさん」の作曲家からご指名をいただいて……、え、僕なの? とまず驚きました。
■初仕事は太田裕美「都忘れ」
先生との初仕事は太田裕美の「都忘れ」(76年)です。普通、フォークの場合、レコーディングまでの1週間ほどの間に譜面を書くんです。ところが、打ち合わせで先生に呼ばれたのがレコーディング前日の夜10時でした。場所は六本木にある筒美京平事務所。行ってみたら立派なマンションで「すごい所に住んでるんだな」って思っていたら、「ここは仕事場で家は別だ」っておっしゃるから、びっくりしたのを今でも覚えています。