みんなが憧れるようなことをやらないといい音楽は作れない
先生がワインだけでなく何事にもこだわったのは「みんなが憧れるようなことをやらないとみんながいいと思う音楽は作れない」というのが持論だったからです。「ヒットチャートに入らなければならない」を信条にしていましたね。
曲作りにおいては流行にとても敏感でした。ダンスミュージックが盛んになればそれが得意な人を起用して、自分はプロデューサー的な立場に立ってヒット曲を生み出す。その時々で考え方を変えるようにされていました。
89年の「イカ天」がはやったアマチュアバンドブームの時は、素人が音楽を作る方が売れるという時代でした。職業作家が出る幕ではないと考えられて、先生は曲をあまり書いていないと思います。時代の流れを読んで、自分が曲作りで出ていくところと引くところをはっきり分けていた。そうやって長い間ヒット曲を作り続けてきた方でした。