好きなことで生きていくため松下洸平が無くさない矜持
なぜなら、そのパフォーマンスの性質上、換気ができないライブハウスで行うのは難しく、デパートの屋上などで歌っていた。すると家族連れの観客が多く、子供は「お絵描きしてるお兄さんが楽しそうに歌っている」と勘違いし、ステージに上がってきてしまうのだ(テレビ朝日「徹子の部屋」21年3月25日)。
絵が得意なのは、画家である母親の影響だ。幼い頃から実家は画材屋と同じにおいがするようなアトリエで、母が描く絵に筆を走らすような子供時代を過ごした。高校も美術科に進学し、将来は画家など美術関係の仕事に就くのだろうと漠然と考えていた。だが、突然転機はやってくる。
美大を目指していた高3の時、映画「天使にラブ・ソングを2」を見て衝撃を受けたのだ。翌日には母親に「歌手になる」と宣言した。母親は猛反対したが、せめてダメになった時のために、何か資格を取得してからにしなさいと諭した。その時に「この若さで人生に保険をかけたくない」(同前)という答えが返ってきて、その覚悟に母は根負けした。
母もまた画家でありながら、もともとは大会で賞を取るほどのボディービルダーだったり、突然、アフリカに一人旅に行ったりするような、自分のやりたいことをやって生きてきた人だった。松下洸平もまたそんな母の血を受け継いでいる。
母は芸能の道に進むことになった息子にひとつだけ約束をさせた。「嫌いになるまでやりなさい」(同前)と。それが好きなことで生きていくために、絶対になくしてはいけない矜持なのだ。