<78>早貴被告は喪主の挨拶の「ひな型」をそのまま読み上げた
祭壇はカタログを見ながら私と佐山さんが提案して全員一致で決めたが200万円を超えるゴージャスなものだった。通夜の後の仕出しの食事もかなり豪華なお寿司を用意することまで決めた。
「そんなに高い料理なんていらないでしょうし、量も多すぎるんじゃないですか」
そう反対したのは私だけだったので、皆に従うことにしたのである。大往生なら別だが怪死した葬儀で食欲が湧く方がおかしいと思ったからで、現に社長の死を耳にしてから私の食欲は全くなかった。
遺影は、白浜のホテル川久で初めて取材したときに私が撮った写真を使うことにした。紺色だったネクタイの色をドン・ファンが好きだったピンク色に変えることも可能だというので、そのようにしてもらうことにした。
紀伊民報への死亡広告の申し込みなどの細々としたことも私が担当し、社長の先祖代々を供養している菩提寺に行って和尚さんに読経をお願いしたり、何かと忙しく動いた。(つづく)