追憶・石原慎太郎氏 プロデューサー康芳夫が語る「国際ネッシー探検隊秘話」
「最初の出会いは僕が学生時代だからもう60年以上も前になりますね」
2月1日に亡くなった故石原慎太郎氏(享年89)を偲ぶのは、伝説の呼び屋でプロデューサーの康芳夫氏(84)。康氏は石原氏が参議院議員だった1973(昭和48)年、イギリス・スコットランドのネス湖に生息する幻の怪獣ネッシーを探すために国際ネッシー探検隊を組織。勇躍、ロンドンに乗り込んだ。
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■小松左京に代わって総隊長に就任
「当初の計画では総隊長は作家の小松左京さんでした。ところが石原さんが“オレがやる”と言い出してね。思い出しますね。僕は東大生時代に五月祭という学園祭に石原慎太郎、岡本太郎、谷川俊太郎、武満徹を呼んで『新しい芸術の可能性』という座談会を企画したんです。とても盛り上がったんだけどギャラを500円しか払わなかったからふざけるなと(笑い)。それ以来の仲。作家の有吉佐和子と結婚する興行師の神彰を紹介してくれたのも石原さん。彼のおかげで興行の世界に入ったといっても過言ではないんです」
驚いたのはロンドンっ子だった。
日本のタカ派で鳴らす現職国会議員がネッシーを捕まえるためにはるばるやって来るというので現地は大騒ぎになったという。
「ネス湖は英国人にとって神聖な場所で、ネッシーは神秘的な動物なんです。それを東洋人がカネに飽かせて捕まえにきたというので現地メディアは猛バッシング。外国人が日本の古墳を暴きに来たようなものだからね。しかも、隊長が現職議員。石原さんは何で非難されなくちゃいけないんだとムッとしてたけど、彼はバッシングされると余計に燃える男だから」
福田赳夫がスポンサーを紹介
英国までの遠征費用は億単位と巨額の費用がかかったが意外な人物がスポンサーの紹介をしてくれたという。
「自民党の福田赳夫さんです。作家の川内康範さんの紹介でお会いしたら『ネッシーね。わかりました。応援しましょう』と、いろんな企業を紹介してくれたんです。なぜ肩入れしてくれたかというと、福田さんは大蔵省に入省してすぐにロンドンの日本大使館で勤務していたんです。ちょうどその頃に撮影されたのが有名なあのネッシーの写真。だから思い入れがあったようでした。そうそう、あの乗っ取り屋の横井英樹も100万円くれた。『俺はただの金貸しじゃないよ。ロマンには金を出すんだよ』って。石原さんは『そんな汚いカネはもらうべきじゃない』と言ってたけど遠慮なく頂いた(笑い)」
■都知事選落選は「ネッシーのせい」
しかし、1年がかりの大プロジェクトも結局ネッシーは見つからず、成果は巨大ウナギが一匹……。
「ネッシー探検隊は現地のメディアだけじゃなくて朝日新聞の天声人語でも“もっとマシなことにカネを使え”って叩かれましたよ。石原さんはその後、都知事選(75年)に出馬して落選。人生で初めての挫折を経験するんだけど、負けたのは『康君とネッシーのせいだ』と言ってましたね(笑い)」
康氏が最後にこう振り返る。
「石原慎太郎と裕次郎という兄弟は湘南ボーイの典型なんです。東京生まれにこういうタイプはいません。言いたいことを遠慮なく言うスタイルが受けたのは、物言えぬ大衆のフラストレーションを彼が代弁した側面があった。それに市民が拍手を送ったんです。だから中央政界ではなく都知事の方が向いていました。小説家としては彼独自の世界観がありましたし、戦後の高度情報社会が生んだ希代のトリックスターです。往時茫々。ご冥福をお祈りします」
(構成=米田龍也/日刊ゲンダイ)
▽康芳夫(こう・よしお) 1937年、東京生まれ。私立海城高校を経て東大卒業後、世界的プロモーターとして活躍。トム・ジョーンズ来日公演、国際ネッシー探検隊、オリバー君招聘、アントニオ猪木対モハメド・アリほか奇想天外な企画の数々で世間をアッと言わせる。出版では戦後最大の奇書「家畜人ヤプー」をプロデュース。自称「虚業家」。