ジュリー社長が否定する母メリー喜多川氏の責任…ジャニー氏の性加害を知らなかったはずがない
メリー氏は1950年代後半に四谷3丁目にカウンターバーを開業。その店の常連客に当時東京新聞記者でのちに作家になる故・藤島泰輔氏がいて、メリー氏は藤島氏と結婚する。62年にジャニー氏がジャニーズ事務所を設立すると同時に、バーを閉めて事務所の経理を担当するようになった。長女のジュリー景子氏が誕生したのは、その後の66年のことだ。
「タレントの発掘とプロデュースはジャニーさんが、経営はメリーさんが担当。彼女はジャニーさんと違って社交的で、亡き森光子さんやTBSの石井ふく子プロデューサーと親交を深め、東山紀之を始め、多くのタレントを売り込んだ。政治力にも長けていて、日本テレビの“ドン”と呼ばれた氏家齊一郎さんに食い込んで、夏恒例のチャリティー番組『24時間テレビ』にタレントを送り込むのに成功させた」(ベテラン芸能ライター)
メリー氏はメディア対策にも余念がなく、テレビ局だけでなく大手新聞社、スポーツ紙、女性週刊誌の“ジャニ担”を篭絡していった。
「メリーさんにとって、タレントのスキャンダルより、表沙汰になることを恐れたのは実弟の性加害だった。何度か限られたメディアに報じられましたが、その都度、握り潰してきた。決定打となった1999年の週刊文春のキャンペーン報道でジャニーさんの性加害が公になり、文春との裁判で最高裁に少年へのセクハラ行為が認定された。それにもかかわらず、タレントへの性加害が止むことはなかった」(前出のベテラン芸能ライター)