プロレスラー百田光雄さん75歳でリング復帰目指す「現役でいられるのは父・力道山のおかげ」

公開日: 更新日:

くよくよしても仕方ない。前向きに

 プロレスラーになりたくて、高卒で父の日本プロレスに入ってからは厳しい練習に耐える毎日。「長年の練習が今の僕の体を支えてくれてるのかなあ」としみじみ思います。当時は家に合宿所があり、選手も一緒に生活してましたので、子供の頃から若手選手が怒られるところを近くで見てました。今思えば、僕は常に父が怒ってる場所にいたんです。それで精神がかなり鍛えられ、がん宣告されても動じないでいられました。「くよくよしても仕方ない」と、前向きに考えられたんですよ。この年でがんになってもすぐに体重が戻ったのはそれだと思います。

 この年で現役でいられるのも父の厳しさのおかげ。僕は小学校に入る前の、日本にプロレスができた頃からずっと間近で見てきたんです。ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんが入られる前ですから、日本のプロレスを最初から見てきたのは、もう僕しかいないと思います。

「父に少しでも近づきたい」という思いでやり続け、とても追いつけなかったけど、長くはやれました。

 がんになる前、ジャイアント馬場没後20年追善興行でメモリアル・バトルロイヤルに出場しました。それが71歳。先月75歳になり、後期高齢者の仲間入り(笑)。この年齢でリングにカムバックしたい。諦めないという気持ちを持つのも僕の生きるクスリです。

 でも、最初の入院で筋肉が全部落ちてしまった。体重は戻っても筋肉は戻らない。先生に許可を得て運動を少しずつ始めてます。

 僕が名誉会員でもあるゴールドジムにプロレスラーの息子(百田力)と行くんです。ベンチプレスを上げて筋肉が張ってくるとうれしいし、息子が重たいのを上げると「負けたくない!」ともっとやりたくなっちゃう。すると採血した時に数値が上がってしまい、「無理はしないように」と先生に叱られて(笑)。

 だから、今は60キロまでしか上げてない。昔は160キロ上がったんですから、100キロまで上げたいんですよ。この年でも少しずつやっていれば筋肉は増えますよ。そして、夢は再び息子の力と並んでリングに立つこと。この年で親子タッグを実現させるまで諦めない気持ちが、最大のクスリですよ。 (聞き手=松野大介)

▽百田光雄(ももた・みつお) 1948年9月、東京都出身。68年に日本プロレスに入門。全日本プロレスやプロレスリング・ノアを経てフリーに。

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議

  2. 2

    キムタクと9年近く交際も破局…通称“かおりん”を直撃すると

  3. 3

    吉川ひなのだけじゃない! カネ、洗脳…芸能界“毒親”伝説

  4. 4

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  5. 5

    竹内結子さん急死 ロケ現場で訃報を聞いたキムタクの慟哭

  1. 6

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 7

    木村拓哉"失言3連発"で「地上波から消滅」危機…スポンサーがヒヤヒヤする危なっかしい言動

  3. 8

    Rソックス3A上沢直之に巨人が食いつく…本人はメジャー挑戦続行を明言せず

  4. 9

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 10

    立花孝志氏『家から出てこいよ』演説にソックリと指摘…大阪市長時代の橋下徹氏「TM演説」の中身と顛末