リッキーこと岡博之さんは芸人からサンミュージック社長に 「この30年紅白出場歌手がいない。音楽を頑張ろう」
事前に知らせた森田健作、ぶっちゃあ、ダンディ坂野とカンニング竹山の反応
──タレントのみなさんのリアクションはいかがでしたか?
寸前まで公表せずにいましたが、事前に知らせておかなければならなかった人が4人だけいました。僕がこの世界に入るきっかけで付き人をやらせてもらっていた森田健作さん。うちのタレント1号ですからね。それから相方のぶっちゃあさん。そして僕が27年前からプロデュースしてきたお笑い部門のベテラン、ダンディ坂野とカンニング竹山。「発表になるまで言わないで。僕、社長になるから」と告げました。
森田健作さんは今でもよく電話をくれるんですよ。必ず朝の6時か7時に「おまえのこと思い出したから、起こしてやろうと思って」とかで(笑)。やることが昭和のスターのまま。
「ついに来たか!」とすごく喜んでくれました。部屋で跳びはねているんじゃないかってくらいに。
僕のことを思ってくれているので社長になったことももちろんですが、タレントが社長になったことを喜んでました。今までの体制もよかったけど、タレント社長で風通しのいいプロダクションになる期待を感じてくれたと思います。
ぶっちゃあさんは「本当に社長になったのか!」と驚いた後、「これからは『社長じゃない方の芸人ぶっちゃあです』と言おう」と宣言。いたるところで「社長じゃない方の芸人です」と言ってますが、あまりウケてないみたい(笑)。
坂野と竹山は大喜びしてくれました。竹山とは食事した時に、「リッキーさんをトップにしましょう」と言ってくれていたんです。竹山も坂野も、付き合いが長い弟子ですから、お笑い芸人の一番上の僕が会社全体のトップになるのは夢があって面白いんでしょうね。
竹山は真剣に社長にしたかったみたいで、「本当になっちゃいましたね!」と喜んでくれました。
──面倒見のいいリッキーさんが芸人たちに慕われているのは知られていますが、社長になって急に態度が変わることはないですね?
むしろ芸人たちといられた時期が恋しくて恋しくて。スーツを着て出社して、社長の席に座る毎日。副社長の方が自由に動きやすかったし、社長になると僕の判断が会社としての最終的な決定になる。それが責任重大。社長ってこんなに大変なのかと。
時間もなくなる。お会いしなきゃならない人の数が副社長とはえらい違いで、「会食しながら話しましょう」と誘われる機会が多く、業界の人は夜遅くまで飲みますから一日が長くて。
誤解しないでほしいのは僕は今も芸人なんです。社長以前の役職を務める時も、唯一の条件として「芸人は続けます」と相澤に言ってきました。だから、名刺は社長とブッチャーブラザーズの2枚を持っています。社長の特権で僕の芸人の仕事を増やすことは芸人やタレントに嫌われるのでやりません(笑)。
元々僕は若い時から裏方志向がありましたから芸人として自分が前に出るより、人のことを優先する時が多かったですからね。
それだと芸人としては売れないですが、自分のことより、他人の才能を伸ばすコーチングに自信がありました。