うつと生きるサカナクション山口一郎さん 「復活」初日の言葉で思い出した1冊をお薦めしたい
大型連休終盤の5月5日(日)に放映されたNHKスペシャル『山口一郎“うつ”と生きる~サカナクション 復活への日々~』が大きな反響を呼んでいる(NHKオンデマンドで視聴可)。サカナクションはこの国を代表するロックバンドのひとつだ。そのフロントマンがうつとともに生き、もがきながらも歌い続ける姿に密着した映像には、強烈なインパクトがあった。
山口さんがうつ病と診断されたのは2022年6月。主たる原因ははっきりしている。20年からのパンデミックだ。当時の官邸によってエンタメは「不要不急」とされ、音楽業界でも仕事を失う者が続出した。山口さんは仲間を救うための基金の設立に関わるなど精力的な活動を展開したが、パンデミックがやっと勢いを弱めたころ、その心身は極度に疲弊していた。それはこの稀代のアーティストの心が〈音楽のかたち〉をしていることの何よりの証でもあるのだが。
番組ではサカナクションのメンバーやスタッフのみならず、小樽市に住む両親まで証言者として出演、山口さんの来し方行く末を語った。周囲もまた闘っていた。いま日本では15人に1人がうつ病を抱えているという。山口さんと彼を取りまく人々の姿は音楽業界固有のものではなく、この国の普遍的な風景だとぼくの目には映った。
タイトルに「復活」と謳われるように、番組はサカナクションが2年ぶりの全国ツアーの初日(4月20日)を迎えるまでを追う。ついに迎えた初日、開演前のメイクルームで髪をカットしながら語る山口さんの言葉が強い印象を残した。
「この病気になってから、毎日、明日はどうか、明日はどうかって、それだけ考えて生きてきたから、久々に明日のことは考えず、今のことだけを考えてライブやれるっていうのは幸せですよね」
その言葉を聞いてぼくが真っ先に思い出したのは、先月出版されたばかりの新著『アーティスト・クリエイターの心の相談室 創作活動の不安とつきあう』(福村出版)の一節「不安は未来に存在します」。自分が押しつぶされそうな〈不安〉への対処法のひとつとして、著者の手島将彦さんはこう説く。「『この先どうなるか?』に集中するのではなく(略)『現在』に意識を留めてください」と。
手島さんは、1971年生まれの産業カウンセラー、音楽専門学校講師、保育士。インディーズ、メジャーレーベル双方からの作品リリース経験もある元ミュージシャンでもある。加えて音楽事務所でマネージメント業務も経験しており、業界のオモテとウラに知悉した人物と言えよう。2016年の本田秀夫氏との共著『なぜアーティストは生きづらいのか?』を読んで以来、ぼくが大きな信頼を置く書き手である。新著は手島さんがライブハウス〈デイドリーム吉祥寺〉で定期開催してきたメンタルヘルスに関する同名トークイベントの書籍化作品。数十におよぶ相談例を挙げ、ベストの対処法を探っていく。
「アーティスト・クリエイターの」と書名にあるが、先述したNスペ同様、その内容はメンタルヘルスケアという現代日本の大きな課題をとらえたもの。いま社会で起きているさまざまな出来事を読み解く試みでもある。引用される発言や事例は著名な心理学者、哲学者から、英米のロックスター、日本のアイドル、インディミュージシャンに至るまで、単著とは信じがたいほどの豊富さ。平易な語り口とともに、この本の普遍性をつよく裏打ちするものだ。著者が普段からいかに広範にアンテナを張っているか思い知らされる。
手島さんが語るのは相談への回答だけではない。相談の本質を丁寧に抽出し、各章の最後の数行では彼が好ましいと考える社会のあり方とこの国の未来像を提示する。同著が人生相談本にとどまらず警世の書としての風格を備えているのは、この理由による。とりわけ、バンドメンバーが「死にたい」と言うときの対処法を語った章は圧巻だ。抑制の利いた文章のむこうに、著者が問題視する現代社会の瑕疵と、実現を待ち望む社会の姿の両方が見えてくる。以下、長めながら引用する。
「生きていく上で誰かに何かの不具合が生じたとき、それは必ずしもその個人の問題ではなく、社会の問題なのではないかと考えてみることが大切です。弱さを見せられる社会ではないのに、弱さをオープンにしろ、というのはおかしな話です。私たちは援助希求行動を当事者の責任にするのではなく、社会全体を『助けてと言える社会』にしていくべきなのでしょう」
山口一郎さんがそうであるように、手島さんの心もまた〈音楽のかたち〉をしている。アーティストにかぎらず、生きづらさを感じているすべての人びとにお薦めしたい1冊だ。