堀江しのぶ初仕事は平凡パンチ 水着で売る意識はなかった
「黒沢監督も英語しゃべれない(笑い)。でも息子の久雄が堪能だから」
黒沢明はぽつりとこんなことも言った。
「僕の次はたけし君」
世界のクロサワは、北野武監督の才能を高く評価していた。
「黒沢監督の家に入り浸っていたとき、“おい、キミ”としか呼ばれなかったけど、麻雀打ってるうちに最後のほうには“野田クン”って覚えてくれた(笑い)」
黒沢明の自宅を自由に使えたことも強運なら、堀江しのぶをスカウトできたのも強運だった。野田義治はおのれの運の強さを実感した。
高校を卒業するまで堀江しのぶは地元愛知県から毎週金曜日夜、上京して土日にかけてダンスや歌の基礎をたたき込まれた。
素直でやる気があるから、砂地が水を吸収するように会得していく。歌だけはあまり上達しなかったが。
「最初の仕事はアイドル水着賞をもらった平凡パンチのグラビアだった。まだそのころは水着でいこうっていう意識はなかったですね。あ、ちょっと肉付きがいいな、ふくよかだね、胸もけっこうあるねくらいの感覚しかなかったですよ。こっちは(堀江)しのぶの顔しか見てないんだから」