中1でギラン・バレー症候群 美馬寛子さんは陸上に救われた
翌朝、学校を休んで母と大きな病院へ行きました。小児科から脳外科に回され、脳波やらCTやら、いろいろな検査をしました。でもひとつも異常はありません。最終的に「髄液を採ってみましょう」ということになって、初めて「ギラン・バレー症候群」と分かったのです。母だけが診察室に呼ばれたときは、子供心に「普通じゃないな」と思いました。そして、そのまま入院になったのです。
その日に計測した右手の握力は3キロでした。医師の話では「もし、このまま悪化していくと呼吸困難になり、人工呼吸器をつける可能性もあります」とのことでした。重症になると合併症を引き起こし、命にも関わる病気なのです。足は捻挫しても骨折しても痛みが分からないから、入院中は歩行器を使用しなければなりませんでした。まったく元気に歩けたんですけどね(笑い)。
当時から身長163センチだった私は、小児科のベッドには納まらず、産婦人科での入院となりました。そこには車椅子で移動する同じ病気の女性がいて、思わず母が「代わってあげたい」と呟いたのを聞きました。幼いながら「親不孝なことをしてるんだな」と思ったことを覚えています。