NHK「新プロジェクトX」で話題の「J-フォン」…統合にかかわった100人の老舗IT企業の物語
100人の中小企業に白羽の矢が立ったワケ
なぜそのような大きなプロジェクトを当時100人ほどの社員しかいない中小企業のJBSが受注することができたのでしょうか。社員数7000人のJ-フォンとは社格が完全に釣り合いません。ジョン・ダーキン氏によってJBSに白羽の矢が立ったのは、ナイキ時代から知っている牧田氏に絶大な信頼を寄せていただけではなく、ほかに出来る会社がなかったという事情もありました。
2001年ごろの日本の企業はMicrosoft Exchangeではなく、他のメールシステムを主に利用していました。当時の日本のIT関係者にとってExchangeはあまり知られていない存在であり、そのため取り扱えるシステムインテグレーターが少なかったのです。実際、ジョン・ダーキン氏が問い合わせた会社は、すべて「できない」という回答を返してきたそうです。 その点、早い段階からマイクロソフト製品を扱っていたJBSは、規模こそ大きくはありませんでしたが、ほかのメールシステムからマイクロソフトExchangeへの移行はかなりの数をこなしていました。ノウハウの蓄積が十分あったのです。
あとはビッグスケールに対応できるかどうかだけが課題でしたが、「大変ではあるが、 やれなくはない」と牧田氏は考えました。そこに確たる根拠はなく、「お客さまがどうしてもやりたいというならやるしかない」という意気込みだけでした。 移転の期限は2002年4月、システムの統合期限は同年8月と決まりました。ジョン・ダーキン氏から牧田氏へのホットラインが2001年の末でしたので、作業に許された時間はほとんどありません。しかも、複雑な事情がこの移転プロジェクトをさらに困難なものにしていました。
移転プロジェクトのリーダーを任されたJBS社員のSさんいわく、「突然外資系企業の傘下になり、プロジェクトが終わったら自分の立場はどうなるのか分からないというお気持ちがあったのでしょう。先方のシステム担当の方々の協力を得るには非常に難しい状況でした。しかも、実務を担当するのはどこの馬の骨か分からない中小企業。気持ちはよく理解できました」。
Sさんは社内からかき集めたエンジニ ア十数人とともに、JBSにとっては過去最大級といえるビッグプロジェクトに挑みました。オフィスのシステム移転に際しては、まず、サーバー、パソコン、電話機などのハードウエアが、どこに何台設置されていて、どのように接続されているかという現状を把握する必要がありました。しかし、通常の方法で依頼しても、その情報は現場の社員からは得られませんでした。
現場から情報が得られなかった理由は、ほかにもあります。当時携帯電話事業会社は拡 大しており、J-フォンも例外ではなく、現場の判断でさまざまな配線を行い、独自のシステムを構築していました。それらはすでに管理不能であり、Sさんによればカオスと言える状態でした。つまり、システム全体の概要を正確に把握している人が、現場には一人もいなかったのです。
そこで、メンバーは役割分担して、3つのオフィスに毎日足を運びました。それぞれの部門の担当者にアポイントを取り、「すみません、少しお話を伺わせていただけますか?」と尋ね、使用している機器やルーターに関する情報を、「これはルーターですよね? お手数ですが、回線番号だけメモさせていただいてもよろしいですか?」といった質問をしながら、まるで探偵のように地道に情報収集を行ったのです。
フリーアドレスが当たり前の今のオフィスでは考えられない作業もたくさんありました。 例えば固定電話に関する作業です。当時は全座席に固定電話を設置するのが基本で、愛宕 グリーンヒルズの新オフィスでも合計約1800台を設置することになりました。無事設 置を終え、いよいよ翌日から社員の荷物が入ってくるという日の夜、突然、搬送によるホコリなどで汚れないよう全ての電話機にカバーをかける作業を行わなければならなくなっ たのです。 搬入開始まであと半日しかありません。しかも夜を徹しての作業となります。今ならコンプライアンス的にレッドカードですが、Sさんには不思議と悲壮感はありませんでした。
「その時の当社の規模からしたら、J-フォンのような有名企業から仕事をもらえるだけ でもすごいこと。自分たちがこんな大きな仕事を受けていいのかと思ったほどで、むしろ やりがいの方が大きかった」からです。
結局、外部委託業者の協力も仰ぎながら、朝までに1800台すべての電話機にカバーをかける作業を終えることができました。
現在は、いつでもどこでもコンピューターサーバーにアクセスできるクラウドになったため、このような大掛かりな引っ越し作業は不要になりました。平成の時代ならではのプロジェクトだったと言えるでしょう。