文化財候補「昭和の名建築」を次々解体する愚かさ…大正11年創建「虎に翼」ロケ地には8万人来館
かつて消滅の危機に陥っていた。79年に裁判所が新庁舎に移転。取り壊しをして公園にする計画が浮上すると、市民から「残して欲しい」との声が上がり、市職員も保存に動き、84年には国の重要文化財に指定。3年半の復元工事を経て89年から市の公文書館として今なお姿をとどめている。
創建時はまさか「100年先」に朝ドラの“聖地”と化すとは、予想だにしなかっただろう。
「建築物は時間と共に文化的価値が増し、その価値はお金では買えません。まだ明治・大正期の建物の価値は認められていますが、昭和の高度成長期の名建築を保存する動きは鈍い。都内でも芦原義信氏のソニービル(66年)、黒川紀章氏の中銀カプセルタワービル(72年)、林昌二氏の中野サンプラザ(73年)などが消え、香川にある丹下健三氏の船の体育館(64年)も解体が決まっています。建築後100年なら残し、50~60年の“若い芽”を摘むのは、将来の文化財候補を破壊するも同然。未来へのおごりです」(建築エコノミスト・森山高至氏)
寅さんがいた昭和の名建築を「覚えているかな? 知らねえけれど」100年先も残す。それが令和の課題である。