<第24回>所属選手だからこそできた1人で2時間の「リンク独占」
そんな日本のリンク事情の中、私はその心配がありませんでした。
当時の邦和スポーツランドは土日を除く午後1時から一般開放だったのですが、平日の午前10時から12時までの2時間を私の練習のために貸し切りにしてくれたのです。しかも、仙台のリンクの閉鎖により、前年から邦和スポーツランドで指導を始めていた長久保先生をはじめ、コーチの方々にマンツーマンで指導していただく機会も増えました。時には私1人に対し、コーチ3人が指導してくれることもあったので、ここから飛躍的にジャンプ、演技力が向上。おかげで、再び世界の大会で上位を争えるようになったのです。
拒食症を患ってから6年弱。絶望的だった五輪出場という夢が、少しだけ視界に入ってきました。
(つづく)