ヤクルト畠山和洋を全解剖 「Boo」はどこで覚醒したのか
「左足を上げて軸足にガッと乗る。ボールとの距離を測る。そこからインサイドアウトの軌道で打てているから内角をさばけるし、外の球を引っ張って左中間に打てる。昔でいえば古田敦也(元ヤクルト監督)に近いね。コースと球種で配球を読み、読みと違う球が来ればカットする技術はチームで一番だと思う」
■問題児の過去
今は「キャンプでの振り込みの量はチーム屈指」(杉村コーチ)というが、規定打席に到達するまで、高卒で入団してから8年を要した(08年)。本人もインタビューで「プロに入った時は練習をサボることしか考えていなかった」と振り返り、01~07年にヤクルトの二軍打撃コーチだった荒井幸雄氏は「生活が不真面目で、ひっぱたいたのはアイツだけ」と述懐している。二軍監督を経て10年に監督代行に就任するや、畠山を4番に再抜擢して中心選手に育て上げた小川SDが振り返る。
「入団当初から彼自身も打撃には自信を持っていたと思うが、性格の部分というか、プロとしての自覚が芽生えるのが遅かったと思う。二軍では練習もこっちが管理してやらせなきゃいけない。走らせても本数を全部やらないこともあった。守備と走塁については二軍監督として一軍に推薦はできなかったですから、いかに一軍で商品価値を認めてもらうかということをずっと考えていた。12年には一塁でゴールデングラブ賞を受賞したように、ここ数年は守備にも自覚が出てきたと感じています」