<4>ロシアへの思い残し、ブラジルW杯後に代表引退を口に
同年は原因不明の吐き気に悩まされ、2010年突入後は代表チーム自体が低迷。南ア直前に岡田監督が超守備的戦術に舵を切ったことで最終的に右SBは駒野が担った。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦でPKを外し、号泣する彼を内田は複雑な思いで見守っていた。
「監督の信頼を得られなかった。外された時点で気持ちのどっかが切れちゃった」と本人は後に本音を吐露したが、その分ブラジルまでの4年間はフル稼働した。シャルケでブンデスリーガや欧州CLを戦いながら、毎月のように日本を行き来するのは、心身両面の負担が非常に大きい。
■二足のわらじを履いて…
「せっかくドイツに来たし、一生懸命やらないともったいないから」と彼らしい言い回しで思いを語ったが、二足のわらじは本当に大変だったはず。努力が2度目のW杯で実ればよかったが、本番4カ月前に右ひざを負傷。強引に間に合わせ、ボロボロになるまで走り続けた。が、チームはブラジルで勝ち点1を手にするのがやっと。指宿、フロリダでの過度な練習、ベースキャンプ地イトゥと試合会場との移動距離や寒暖差など多くの失敗要因が挙げられた。