<4>ロシアへの思い残し、ブラジルW杯後に代表引退を口に
2008年1月のチリ戦から日本代表74試合に出場して2得点を挙げた内田篤人。絶対的右サイドバック(SB)として岡田武史(現今治代表)とザッケローニ両監督の寵愛を受けたが、意外にもW杯本大会では納得のいく成果を上げられなかった。10年南アフリカは、直前の戦術変更で出番なし。14年ブラジルは孤軍奮闘したものの、チームは惨敗を喫した。そして、「自身の集大成に」と願い続けた18年ロシアへの出場はかなわなかった。
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19歳での鮮烈デビュー以来、瞬く間に代表右SBの定位置をつかんだ内田。2010年南アW杯の予選をコンスタントに戦うことになった。
だが、世界切符の懸かった09年6月のウズベキスタン戦(タシケント)を体調不良で欠場したのが、つまずきの始まり。前日練習では「いつも通り」と元気そうにしていたのに肝心の当日は不在。06年ドイツW杯組の駒野に代役を託すことになった。
日本は岡崎慎司(ウエスカ)の決勝弾でW杯行きを決めたが、内田にとっては不遇に終わった南アW杯の呼び水だったのかもしれない。