横浜1年目の開幕直後に古傷の右脇腹を痛めるも…投げ続けるしかないと思った
横浜移籍1年目の1998年、4月14日から広島市民球場で行われた3連戦の最中だった。
ブルペンに「次の回からいくぞ」という電話がかかってきて、準備をしていたときのことだ。投げた瞬間、右脇腹にビシッという感じの痛みが走った。
右腰に何かがはさまったような感覚。痛みが激しくて、とてもじゃないが、投げられる状態ではない。
コーチには状況を説明したうえで、「申し訳ないですが、投げられる状態じゃありません」と話し、代わりの投手がリリーフ登板した。
右の脇腹は近鉄時代に痛めた箇所でもある。本来なら二軍に行ってリハビリすべきところかもしれないけれど、巨人で結果を出して移籍してきたわけではない。監督の権藤さんに「敗戦処理からだからな」と言われたように、そもそも危うい立場で加入している。二軍でリハビリをさせてほしいと言った時点で、二度とチャンスは回ってこないかもしれない。
自分は何のために横浜に来たのか、もう一度、一軍のマウンドで勝負するためじゃないのか。そう考えたら診断の結果が出るまでどんなに痛くても投げ続けるしかないと思った。