「今年は優勝したいよね」→「なんで勝てないんだろう」が当時のロッテの体質だった
2003年にロッテはホセ・フェルナンデスという三塁手の新外国人を獲得した。
これがドラフトで若い三塁手が入ってくるなら「負けないよ」と闘志に火がつくのだが、助っ人の場合は、起用が前提の獲得だ。つまり、私は「レギュラーではない」と言われたようなもの。案の定、代打が中心になった。プロとして考え方を変えようと言い聞かせるしかなかった。ただ、もっと難しかったのは「瞬間湯沸かし器」の山本功児監督である。
試合が始まったばかりの序盤にベンチで目が合うと「なんで代打の準備をしていないんだ!」と一喝された。“まだ二回じゃないか”と戸惑いつつ、そう言われたら仕方がない。
次から試合開始と同時にベンチ裏に体を動かしに行くと、今度は「なんでベンチにいないんだ!」と怒られた。コーチに聞いても「うまくやって」と言うばかり。
どうしたらいいのか、本気で悩んだ。結局、1999年から03年までの山本監督在任中、チームは一度もAクラスに入ることができなかった。
98年の18連敗の時もそうだったが、エースの黒木知宏、野手は福浦和也など選手は揃いつつあったのに、ロッテの独特の雰囲気も足を引っ張っていた。95年に引退した森田芳彦さんが言っていたことが、当時のチームをよく表していた。